美人画の浮世絵で大人気・喜多川歌麿の魅力と代表作

女性たちの憧れ!美人画の巨匠・喜多川歌麿

喜多川歌麿「江戸の花 娘浄瑠璃」
喜多川歌麿「江戸の花 娘浄瑠璃」

喜多川歌麿は江戸時代中期~後期にかけて活躍した浮世絵師です。喜多川歌麿は美人画の巨匠として知られており、女性の美しい仕草を華麗かつ繊細な描写で描き、独自のスタイルを確立しました。

喜多川歌麿の浮世絵は、庶民から遊女まで様々な女性をモデルとしましたが、どのような階級の女性も皆とても品良く描かれています。モデル女性が着こなす着物の美しさも相まって、喜多川歌麿の浮世絵は江戸の女性たちの憧れの的となりました。

喜多川歌麿のプロフィール

喜多川歌麿「山姥と金太郎 盃」
喜多川歌麿「山姥と金太郎 盃」

1753年、喜多川歌麿は江戸(現在の東京)の下町に生まれたとされていますが、実際の出生地は不明です。幼いころから絵に親しんだ歌麿は、狩野派の町絵師である烏山石燕に師事し、本格的な絵の修業を始めました。

1770年、北川豊章と名乗っていた喜多川歌麿は、絵入俳書『ちよのはる』の挿絵で画業にデビューすると、1781年頃に現在の「歌麿」と名前を改めました。

1790年頃、美人画シリーズ「婦女人相十品」「婦人相学十躰」の制作を開始。大首絵の美人画で女性の美しさを表現した喜多川歌麿の作品は、江戸で大人気となりました。社会派としても知られる喜多川歌麿は、江戸の風俗や文化を取り入れた風俗画にも取り組みました。

喜多川歌麿「太閤五妻洛東遊観之図」
喜多川歌麿「太閤五妻洛東遊観之図」

1804年、喜多川歌麿が「太閤五妻洛東遊観之図」を発表すると、この作品が江戸幕府の寛政の改革による風紀取り締まり対象となり、喜多川歌麿は手鎖50日の処罰を受けました。

1806年、喜多川歌麿死去。死因は定かではありませんが、幕府の検閲で処罰を受けたことが少なからず影響しているのではともいわれています。

喜多川歌麿の代表作・有名な作品

喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く女」

喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く女」
喜多川歌麿「婦女人相十品 ポッピンを吹く女」

喜多川歌麿「ポッピンを吹く女」は、別名「ビードロを吹く娘」とも呼ばれます。「ポッピンを吹く女」は、「婦女人相十品 」という美人画10点シリーズのひとつで、市松模様の洒落た着物を着た若い町娘が描かれています。

喜多川歌麿「ポッピンを吹く女」は、現存する枚数が少ない貴重な作品です。

喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」

喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」
喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」

喜多川歌麿「婦人相学十躰 浮気之相」は、「婦女人相十品 」と同時期に制作された浮世絵「婦人相学十躰」のなかの1枚。「婦人相学十躰 浮気之相」は、風呂上がりの女性が後ろを振り返りながら手を拭いている一瞬が描かれており、その仕草や表情は男性に気が多い女性の性格を表現しています。

喜多川歌麿は、女性の顔や体の特徴や外見の美しさはもちろん、仕草や表情から女性の内面も描き出そうとしました。「婦女人相十品」や「婦人相学十躰」は、そうした喜多川歌麿の試みが顕著な美人画シリーズです。

喜多川歌麿「寛政三美人」

喜多川歌麿「寛政三美人」
喜多川歌麿「寛政三美人」

喜多川歌麿「寛政三美人」は、寛政時代の江戸で美人と評判だった3人をモデルにした浮世絵です。画面左から、高島屋おひさ、吉原芸者の富本豊ひな、難波屋のおきたが描かれています。雲母摺の背景が美人たちの華やかさをより一層引き立てているのが特徴です。

「寛政三美人」は、美人画の巨匠・喜多川歌麿の真骨頂ともいえる作品です。

喜多川歌麿のここがすごい!作品の特徴と人気の理由

女性の内面まで描き出す繊細な描写

喜多川歌麿「櫛」
喜多川歌麿「櫛」

喜多川歌麿の浮世絵の特徴に、上品で繊細な描写が挙げられます。

喜多川歌麿が描き出す女性は、つぶらな瞳や薄く小さい唇、すっと櫛が通った美しい生え際の髪が特徴です。また、櫛や団扇から透ける女性の顔や体は、女性の儚げな艶っぽさを表現しています。

美人を際立たせる大胆なポーズの大首絵

喜多川歌麿「丁子屋 雛鶴 雛松」
喜多川歌麿「丁子屋 雛鶴 雛松」

喜多川歌麿の美人画には、しばしば人物の上半身やバストアップを切り取った構図が見られます。これは「大首絵」と呼ばれるもので、役者絵に多く取り入れられていた構図を、喜多川歌麿が美人画に取り入れました。

喜多川歌麿は、女性の表情や仕草をつぶさに研究し、女性の内面からにじみ出る性格や個性、喜怒哀楽を浮世絵で表現しようとしました。

仕草やポーズで女性を10タイプに分けた喜多川歌麿の美人画シリーズ「婦女人相十品」や「婦人相学十躰」には、この特徴がよく現れています。

江戸の流行を反映したファッション性

喜多川歌麿「丁子屋内 唐琴」「丁子屋内折はへ」
喜多川歌麿「丁子屋内 唐琴」「丁子屋内折はへ」

喜多川歌麿の浮世絵には、美しい着物を着こなす女性たちがたくさん登場し、当時の江戸の女性たちの話題をさらいました。

写真がない江戸時代、最新の着物の柄や着こなしが見られる喜多川歌麿の浮世絵は、今でいうファッション雑誌的な役割も果たしていました。

美人をより引き立てる表現技法

喜多川歌麿「汗を拭く女」
喜多川歌麿「汗を拭く女」

喜多川歌麿は、浮世絵にさまざまな技法を取り入れました。

喜多川歌麿は、色を塗っていない彫木を紙にこすりつけて陰影をつける空摺や、雲母粉を顔料に混ぜて(またたは濡れた顔料に振りかけて)画面をキラキラと光らせる雲母摺(きらずり)を用いることで、繊細な着物の柄の表現やモデルを引き立たせる背景を作り出しました。

喜多川歌麿に対する評価と影響力

喜多川歌麿の日本国内での評価

喜多川歌麿「深川の雪」岡田美術館蔵
喜多川歌麿「深川の雪」岡田美術館蔵

喜多川歌麿の浮世絵の芸術性は、江戸時代から高く評価されており、多くの弟子を抱えていました。残念ながら弟子のなかから喜多川歌麿ほど大物になる人物は現れませんでしたが、喜多川歌麿の技術は弟子たちによって引き継がれていきました。

日本を代表する浮世絵師のひとりに挙げられる喜多川歌麿は、現代においても高く評価されています。芸術性の高い喜多川歌麿の浮世絵は、多くの美術館がコレクションに加えており、日本国内の太田記念美術館や岡田美術館、MOA美術館には喜多川歌麿の肉筆画も収蔵されています。

喜多川歌麿の海外での評価

喜多川歌麿「三味線を弾く美人図」ボストン美術館蔵
喜多川歌麿「三味線を弾く美人図」ボストン美術館蔵

喜多川歌麿の浮世絵は、葛飾北斎や歌川広重の浮世絵と並び、海外でも高く評価されています。

フランスの作家・美術評論家であるエドモン・ド・ゴンクールは、喜多川歌麿を葛飾北斎と並ぶ天才浮世絵師として評価しており、1891年には歌麿を研究した本も出版しています。エドモンの書籍はフランスの日本ブームであるジャポニスムの先駆けともいえるものでした。

喜多川歌麿の浮世絵をコレクションしているコレクターとしては、アメリカの大富豪スポルディング兄弟が有名です。6500点にも及ぶスポルディング兄弟の浮世絵コレクションのうち、喜多川歌麿の作品は400点弱あまり。浮世絵の劣化を防ぐため、ボストン美術館に収蔵されているスポルディング・コレクションは門外不出となっています。

喜多川歌麿のライバル

鳥文斎栄之と鈴木春信の浮世絵
鳥文斎栄之と鈴木春信の浮世絵

喜多川歌麿のライバルとしては、美人画を得意とした鳥文斎栄之が挙げられます。

鳥文斎栄之は旗本出身という異色の浮世絵師で、喜多川歌麿と年が近く、同時期に美人画で活躍しました。鳥文斎栄之の浮世絵は、大首絵で売れた喜多川歌麿とは対照的に、細身で背が高い女性の全身像を描いた作品が多いのが特徴です。

また喜多川歌麿を語る際に、よく引き合いに出されるのが鈴木春信です。

錦絵の誕生に貢献した鈴木春信は、美人画で人気を博しました。鈴木春信の浮世絵には、中国絵画の影響を思わせる小柄な女性が多く登場します。

喜多川歌麿の紹介まとめ

江戸時代に浮世絵の美人画で独自のスタイルを確立した浮世絵師・喜多川歌麿。喜多川歌麿は、女性の優雅で品のある美しさはもちろん、内面の美しさや感情までも浮世絵で表現しようとしました。

喜多川歌麿が描きだす美人画のなかの町娘や遊女が着ている着物は、当時の文化を知る貴重な資料としても価値が高いものです。

社会派としても知られる喜多川歌麿の浮世絵は、女性の美しさはもちろん、江戸時代の風俗や文化、女性としての生き方をも、現代の私たちに教えてくれています。

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