浮世絵の巨匠・葛飾北斎の代表作と美術界に与えた影響

偉大なる浮世絵師 葛飾北斎

葛飾北斎の代表作「富嶽三六景」より抜粋した作品

葛飾北斎は江戸時代後期に主に浮世絵師として活躍した、日本を代表する芸術家です。
葛飾北斎は、代表作「富嶽三十六景」をはじめ、数多くの名作を残し、国内外で非常に高く評価されています。

葛飾北斎のプロフィール

北斎の幼少期(1760年〜1778年)

葛飾北斎は1760年、日本の江戸(現在の東京都墨田区)に生まれました。本名は川村時太郎、のちに鉄蔵と改名しました。絵が好きで、幼い頃から絵を描いていた少年でした。

浮世絵師の修行時代(1778年〜1793年)

葛飾北斎が浮世絵師として活動し始めた初期の作品

1777年に、浮世絵師・勝川春章の門下となり、浮世絵師としての修行を始めました。この頃の北斎は、それなりの将来性を見込まれてはいたものの、作品には強烈なインパクトが見られません。後の彼の活躍と比べると、没個性な時代であったといえるかもしれません。

浮世絵師としての名声(1793年〜1833年)

さまざまな画号を使った葛飾北斎は、1793年に独立すると、1795年から1804年頃までは「宗理」、1805年から1809年までは「葛飾北斎」、1820年から1833年までは「為一」と名乗りました。

葛飾北斎の代表作「「諸国瀧廻り」より一部抜粋した作品

この頃の北斎は、「富嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」など、後の代表作となる作品を次々に発表し、浮世絵師として名声を高めました。

北斎の晩年の活躍(1834年〜1849年)

晩年の葛飾北斎が描いたとされる自画像

晩年の葛飾北斎は「画狂人北斎」を名乗りました。晩年も精力的に作品を制作し続けた葛飾北斎は、絵手本や肉筆画を中心に描くようになり、その題材は自然物や宗教にも及びました。1849年に生涯を終えた葛飾北斎は、浮世絵界だけでなく美術界全体に大きな影響を与えました。

葛飾北斎の代表作・有名な作品

葛飾北斎「富嶽三十六景」

葛飾北斎作「富嶽三十六景」より抜粋した作品

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴(赤富士)」

葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴(赤富士)」

葛飾北斎のここがすごい!作品の特徴と人気の理由

時代のニーズを捉える北斎の眼力

葛飾北斎「富嶽三十六景 駿州江㞍」

葛飾北斎の作品の多くには庶民の生活が反映されています。「冨嶽三十六景」や「神奈川沖浪裏」といった庶民のあこがれの景色や、庶民の日常を切り取った風景は、江戸の人々に人気を博しました。北斎の作風は、写実的な描写から、デフォルメや誇張を駆使した描写まで、多岐にわたりますが、どの作品も時代のニーズを的確に捉えています。

新しいことに挑戦する北斎のチャレンジ精神

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

葛飾北斎は庶民の暮らしをつぶさに観察しただけでなく、その表現方法にも常に最新の技法を取り入れました。たとえば北斎の作品である「神奈川沖浪裏」は、実際に見る風景を大胆にデフォルメしており、遠近法や陰影法には西洋画の影響が色濃く見られます。当時としては大変斬新だったデザイン性の高い北斎の浮世絵は、江戸の人々を驚かせました。

常に進化し続け続ける北斎の向上心

葛飾北斎 晩年の肉筆画

葛飾北斎は、多作な芸術家として知られています。その作品数は生涯に渡り数万点ともいわれています。新しいことに挑戦し続け、晩年になっても精力的に制作を続けた北斎は、亡くなるまで進化を続けた芸術家でした。

現代のデザインにも通じる北斎の独創性

北斎作品をモティーフにした製品例

葛飾北斎の作品は、現代においても様々な分野で模倣されており、北斎をリスペクトした作品も多く制作されています。現代的なデザインの視点からみても美しい北斎の作品は、現代人の心を完璧に捉えており、彼の代表作をプリントした作品は世界中で人気を博しています。

葛飾北斎に対する評価と影響力

葛飾北斎の日本国内での評価

日本国内では、葛飾北斎は誰もが知る浮世絵の巨匠として、広く認知されています。世界的にも高い評価を受けた「富嶽三十六景」をはじめとする葛飾北斎の作品は、日本の美術館に多数収蔵されているほか、熱心な日本人コレクターによる収集も行われています。

すみだ北斎美術館(東京都墨田区)

葛飾北斎の生まれ故郷である東京都墨田区には北斎の代表作や多数の作品が展示されている「すみだ北斎美術館」があります。
また、葛飾北斎が晩年を過ごした長野県上高井郡小布施町には北斎の肉筆画を多数収蔵する「北斎館」があります。
どちらの美術館も、北斎の生涯を知ることができる貴重な施設で、多くの日本人に親しまれています。

葛飾北斎の海外での評価

葛飾北斎は海外でも広く認知されており、特に「ジャポニスム」の代表的な画家として有名です。葛飾北斎の独創的で大胆なな画風は、西洋の著名な芸術家たちにも大きな影響を与えました。

葛飾北斎に影響を受けたといわれるクロード・モネの作品

19世紀後半のフランスではジャポニスムが大変なブームとなり、フランスの画家であるクロード・モネは、葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」に大きな影響を受け、自身の作品に取り入れました。また、フィンセント・ファン・ゴッホが収集した浮世絵は400点以上あったといわれており、ゴッホの代表作「ひまわり」には葛飾北斎の菊の花のデザインの影響が見て取れます。

葛飾北斎「菊に虻」とフィンセント・ファン・ゴッホ「ひまわり」

ジャポニスムブームを牽引した存在であり、海外の芸術家にも多大な影響を与えた葛飾北斎は、海外の美術館からも高く評価されており、多くの美術館が彼の作品を収蔵しています。
葛飾北斎の作品が高額で取引されていることからも彼の人気を裏付けることができるでしょう。

葛飾北斎の紹介まとめ

日本の江戸時代に活躍した浮世絵師である葛飾北斎の作品は、普遍的なテーマを的確に捉える彼の眼力と、インパクトのある大胆な構図た特徴で、時代を超えて愛されてきました。

「人がやらないことをやる」という精神で常に新しいことを求め続けた葛飾北斎のバイタリティは、現代の私達にも感動とモチベーションを与えてくれます。

日本国内には葛飾北斎の作品を専門に扱う美術館が2館あります。ぜひ実際にあなたの目で北斎作品をご覧になってみてください。

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