浮世絵を芸術として確立させた菱川師宣
菱川師宣は、江戸時代に活躍した浮世絵師です。それまで挿絵の扱いだった浮世絵を鑑賞向けの1枚の絵画作品として確立させた功績から、菱川師宣は「浮世絵の祖」とも呼ばれます。
菱川師宣は、鮮やかな色彩とユニークな構図で、江戸の人々の暮らしを生き生きと描き出しました。また、艶やかな流行の着物に身を包んだ菱川師宣の美人画は、江戸で大評判となりました。
肉筆画や屏風絵にも優れた作品を残した菱川師宣の活躍は、葛飾北斎や歌川広重ら後の浮世絵師たちにも多大な影響を与えました。
菱川師宣のプロフィール
千葉県鋸南町に生まれた菱川師宣は、幼いころから絵に親しみ、16歳で江戸に出ると、狩野派や土佐派、長谷川派などの技法を学びました。
菱川師宣は、江戸で木版本の挿絵の原図を書く版下絵師として働き、黒色1色の墨摺絵で挿絵や名所絵を手がけました。版下絵師としての頭角を現した菱川師宣は、「義経記」や「好色一代男」の挿絵、源氏大和絵鑑、大和武者絵、名所記など様々なジャンルの挿絵を手がけ、文章よりも絵が多い師宣様式を確立していきます。
仕事量の増加とともに大衆への支持を広げた菱川師宣は、本の挿絵を一枚の絵画として観賞できる一枚絵へと独立させ、浮世絵の版画芸術としての価値を高めました。また、菱川師宣は美人画や風俗画など多くの肉筆画も残しました。
1694年、菱川師宣死去。菱川師宣の工房やその弟子たちにより、菱川師宣の浮世絵技術は後世へと受け継がれました。
菱川師宣が「浮世絵の祖」と呼ばれる理由
浮世絵という風俗画を生み出した創始者が「岩佐又兵衛」であるならば、浮世絵を一枚絵の芸術とし、木版画による大量生産で庶民に広めたのが「菱川師宣」です。
菱川師宣は、本の挿絵でしかなかった浮世絵を一枚絵にし、その魅力を江戸の人々に伝えました。浮世絵が木版画により安価に大量生産できるようになると、それまで高価な肉筆画の浮世絵には手が出なかった江戸の人々でも買い求めやすくなり、浮世絵は大衆文化の仲間入りを果たしました。
菱川師宣の代表作・有名な作品
菱川師宣「見返り美人図」
菱川師宣の作品でもっとも有名で、晩年の傑作といわれる浮世絵が「見返り美人図」です。
菱川師宣「見返り美人図」は、鮮やかな振袖の着物を着た美人が後ろを振り返る様子が描かれた肉筆画の浮世絵で、モデルは江戸の町娘とされています。
見返り美人は、髪を珠結びに結い、着物は当時流行していた花の丸に桜と菊、帯もまた当時流行の吉弥結びと、最新ファッションを着こなしています。当時の江戸では菱川師宣の描く美人は評判を呼んでおり、「見返り美人図」も人気がありました。
菱川師宣「見返り美人図」は、戦後発売された記念切手の第一号のデザインに採用されたことでも知られています。
菱川師宣「歌舞伎図屏風」
菱川師宣「歌舞伎図屏風」は、「見返り美人図」と並ぶ菱川師宣の代表作です。
「歌舞伎図屏風」は、江戸の「中村座」の興行の様子が描かれた屏風絵で、歌舞伎の舞台や楽屋、観客席の様子が生き生きと描かれています。裏方や楽屋で出番の準備をする役者など、ふだん目にすることのない部分まで丁寧に描き出した「歌舞伎図屏風」の登場人物は総勢285人。江戸の娯楽が文化として成熟していた様子が見て取れます。
菱川師宣「歌舞伎図屏風」は、国の重要文化財に指定されています。
菱川師宣「江戸風俗図屏風」
菱川師宣「江戸風俗図屏風」は、春と秋の江戸の様子が描かれた屏風絵です。「江戸風俗図屏風」は、秋の浅草寺に参拝する人々や春の上野・寛永寺で花見をする人々など、江戸の暮らしや風俗を生き生きと描き出しており、美しい季節の景色や色鮮やかな着物からは江戸の暮らしが垣間見えるようです。
菱川師宣「江戸風俗図屏風」は現在、アメリカ・ワシントンDCにあるフリーア美術館に収蔵されています。
菱川師宣のここがすごい!作品の特徴と人気の理由
安価な木版画で浮世絵を広めた菱川師宣
絵が大部分を占める絵本から、観賞用の一枚絵へと変貌を遂げた菱川師宣の浮世絵は、黒色1色の墨摺絵で、まれに彩色が施されました。大量に印刷することができる浮世絵木版画は、安価で庶民の手に届きやすく、江戸の浮世絵文化を発展させました。
生き生きと色鮮やかに描かれた江戸の人々
菱川師宣は、掛け軸や屏風絵など肉筆画にも優れた作品を多く残しました。菱川師宣の肉筆画は色鮮やかで、時にユーモラスに、時に楽し気に、江戸の暮らしや歌舞伎の場面を描き出しました。菱川師宣の風俗画に登場する人々は、表情や着物の柄まできめ細かく繊細に描かれているのが特徴です。
最新の流行ファッションを意識した美人画
菱川師宣は代表作「見返り美人図」をはじめ、多くの美人画も残しています。肉筆で描かれた菱川師宣の美人画は、流行のヘアスタイルに艶やかな着物姿で、今でいうファッションモデルのような出で立ちです。その姿は「師宣の美女こそ江戸女」と江戸で評判になるほど人気を博しました。
「見返り美人図」が重要文化財ではない理由?
菱川師宣「見返り美人図」は、国の重要文化財に指定されていません。これを意外に思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
なぜ「見返り美人図」は重要文化財に指定されない?
菱川師宣は歴史上の重要人物ではないという声があります。しかし、菱川師宣「歌舞伎図屏風」が重要文化財に指定されていることから考えて、作品の歴史的な古さや菱川師宣本人に問題があるとは思えません。
また、「見返り美人図は美しくない」「美人ではないから」という声もあります。しかし、「見返り美人図」は江戸で評判の美人画だったことから、その時代の価値観では「美人」だったわけです。そして、美人か否かを評価の基準にするのであれば、すでに指定されている重要文化財のなかにも「美人ではない」作品はあるように思います(誤解を恐れずいうなら萬鉄五郎 《裸体美人》など)。
なぜ「見返り美人図」は重要文化財に指定されないのか。正直に申し上げて、筆者である私にも理由は「謎」です。
未来の重要文化財指定が期待される「見返り美人図」
東京国立博物館蔵の菱川師宣「見返り美人図」は、展示されると毎回大勢の人が集まるトーハクのシンボル的存在です。過去には木版画の浮世絵も重要文化財に指定されています。肉筆画の浮世絵である菱川師宣「見返り美人図」は未来の重要文化財になり得る作品だと考えられます。
菱川師宣に対する評価と影響力
菱川師宣の日本国内での評価
浮世絵の祖であり多くの浮世絵師に影響を与えた菱川師宣。
現代の日本では、「菱川師宣=見返り美人図」というほど「見返り美人図」が突出して有名で、過去にはBE@RBRICKや初音ミクといった大人気キャラクターと「見返り美人図」のコラボも行われました。
菱川師宣の生まれ故郷である千葉県鋸南町には、公立美術館・菱川師宣記念館があり、菱川師宣の生い立ちや作品が紹介されています。
菱川師宣の海外での評価
海外での菱川師宣の知名度は、決して高くありません。葛飾北斎や歌川広重ら有名浮世絵師に比べるとマイナーな浮世絵師に分類されると言ってもいいかもしれません。
フランスでは19世紀後半にジャポニスムが非常に大きな盛り上がりを見せ、フランス印象派の画家たちはこぞって浮世絵からインスピレーションを得た作品を発表しました。フランス印象派の巨匠であるクロード・モネ作「ラ・ジャポネーズ」は、妻カミーユの後ろを振り向いたポーズが、菱川師宣「見返り美人図」を彷彿させる作品です。
一般的な知名度は低かった菱川師宣ですが、美術評論家や浮世絵コレクター、印象派の画家たちにはその芸術性を評価されていました。
菱川師宣の紹介まとめ
菱川師宣は、浮世絵を本の挿絵から一枚絵へと発展させ、木版画による大量生産によって江戸に広めました。
もし、浮世絵が大量生産できない芸術だったのなら、江戸の庶民に浮世絵は広まらず、フランスでジャポニスム運動も起こらなかったかもしれません。菱川師宣が浮世絵を世に広めた功績は非常に大きく、菱川師宣はまさに「浮世絵の祖」にふさわしい人物でした。